2017年11月3日金曜日

「寂寥」と「寂寞」という言葉の違いを考えてみた。
どちらも物寂しい様子を表すための言葉。
二つの言葉が存在する以上そこには何かしら違いがあるのではないか、と。

しかし
これを必死になって研究して、
その結果、明確な区別やハッキリした使い分けが存在することを突き止めたとして、
それを実践したところで
分かるものは自分だけ、という事にしかならない

と思うと
真に重要なのはその意味的な使い分けよりも、字的・音的な使い分けかもしれない。


というところまで考えたけどお酒飲みだしたから分かんなくなってきた。

2017年11月2日木曜日

ぶんがくのはなし

島崎藤村の破戒を読んだ。 ちょっと触れがたいテーマながらも、名作だった。

"踏む度にさくゝと音のする雪の上は、確実(たしか)に自分の世界のやうに思はれてきた。" ヒュー!

でも結局自然主義文学ってのが何なのかはよく分からなかった。 客観性、ありのままを描写するてことらしいけど、さらに遡らないとここの違いは分からないんだろうか。


というわけで先日も書いた、自然主義文学の代表作、島崎藤村の破戒を無事読み終えた。
進めるうちは心が重く重くなっていったけれど、読み終えるとすごくスッキリした感じ。
青空の下で冬の風が吹き抜けるような気分。
素直な描写が信州の自然を思い浮かばせてくる。
華美な装飾をせずに淡々と事実を書き連ねていくのが「自然主義」なのかもしれない。
学術的なことは良く分からない。

道徳的・宗教的観念を排除した近代文学として登場したのが当時としては衝撃的な形態だったのかもしれない。
そこから個人主義的な人間らしさを表現する白樺派やら、自然主義より一歩踏み込んだ反自然主義と呼ばれる派閥が出てきて、再び美に回帰する耽美主義とやらが生まれてくるらしい。
私の好きな夢野久作はこの耽美主義らしい。
「美」と呼んでいいかは分からないけど読むと惹きつけられる空気がある。
これを「美」というのだろうか。

そして坂口安吾の戯作的要素を重視した無頼派ってのが出てくるんだと。
太宰もこの無頼派。



こうしてみると、少しずつ読んだことある作家が増えてきてる。
歳を重ねるとはこういうことか。
小学校、中学校の図書館の主達はこういうもの経験してきたんだろうなあ、と思うと羨ましい。

表現の世界は奥が深い。

2017年10月31日火曜日

我身の病の為に三十までは生きぬと思った。
山中に死すべしと思い乍ら、当もなく丘に谷に気儘に駆けた。
いざ斯うしてあっさりと三十を越えてみると、其処には不毛な荒野が広がっていた。
蓄えも無く素寒貧のまま寂寞たる荒野に立ち、眺むるは先に越えてきた青山ばかり。
病は斯身から去り、残るは山越の疲労ばかりであった。
さてどうしたものか
機械的に歩を進め乍ら浮かぶ月をぼんやりと望む。


2015/11/28
円山公園
鯉がいるんだよね
よく眺める
変わったたこ焼きを食べた気がする
まだあるのかな


今日は駐車場にあった苔を剥がして回った。
この小さな生き物の共同体には数世代に一度の大災厄だったのだろう。
我々の周りの災難もこのような家主の気まぐれでかき回されて起こっているのだろうか。
人類のこの繁栄は家主のスコップが襲ってくる合間の刹那の出来事なのかもしれない。
次の瞬間にはこの宇宙ごとスコップで取り除かれてビニール袋にぽいっと放り投げられる。
そんなことを考えながら苔を剥がして回った。

2017年10月29日日曜日

トンテキ食べた

足を止め巻煙草に火をつけると、憂鬱な紫をまとった煙をぷうと吐き出した。
足早に駆け抜けた嵐の残党がすぐにかき散らしていった。
雲の流れは速く、後ろに隠れた半月が頬をちらちらと覗かせる。



2016/2/8
ユニバ レストラン
凄くアメリカーん。
右にやや傾いている。
修正するの面倒なのでそのまま。


今日は何をしたというと特筆すべきことも何もなし。
松屋でついついトンテキ定食なるものを食べてしまった。
ニンニクの効いたソースに極厚のトンテキ。
嚙みきれない。
精がつく気がしました。新米と合わせて大変おいしゅうございました。
明日は休みなので何かしたいけどきっと何もしない。
ゆっくりできそう。

2017年10月28日土曜日

すくず

2015/3/27
奈良 若草山
雲一つない。


毎日が恐ろしく早く過ぎていく。
降り損ない、日々の通過駅を何もなしえず通過していく。
出来うることなら途中下車し徒歩で行きたい。どこまでも。


どうにも面白いもので、同好の徒の中でも意見の違いは出てくるようだ。
古参は顔をしかめ、新参はそれを嘲笑う。
小さな社会は大きな社会の縮図となるのだろうか。
輪の外から眺めるだけでは真に楽しさは得られないのかもしれない。


今日はカレーうどんを食べた。
油揚げと半熟卵の入ったのを食べたい。

2017年10月27日金曜日

秋だな

降車後のエスカレーターを踏みあがるとき、頭をぐわんと揺すられたような心持ちがした。
着せられた悪寒に、妙に生温く纏わりつく夜気が重く染みこむ。
私は引きずりながら帰宅した。



2015/11/28
金閣の紅葉
なんか幹が目立ちすぎてる。
トリミングしたら印象変わりそう。


気力いまいち。
何かしようという気の持てぬまま時の流れるに身を任せる。
流れてゆくよ。
 

2017年10月26日木曜日

コロッケを食べた


2015/2/20
近江神宮
ピンボケ。
シャープかけてもピンボケはごまかせない。
シャッターを切るときが大事。


ファミマでコロッケを買って食べる。
久しぶりにコロッケを食べた。
美味しい。



美味しいとか楽しいとか語彙が貧困だと思い出が一辺倒になる。
●●へ行きました。楽しかったです。
□□を食べました。美味しかったです。
感覚を言葉で表すことは難しい。
比喩的表現とか、連想した事柄などを一緒に残す、とか。

表現の世界は恐ろしく深い

、とその世界の入り口の遥か後方から眺めながら言う。



コロッケを食べた。
美味しい。

2017年10月25日水曜日

休み

今日は休み。

天気も良くないしほぼ家でだらだらしてた。
音楽流しながら昼寝とか贅沢。

ミッションインポッシブルを見た。
ずっと007と同一視してたけど違うんだね…。
お恥ずかしい。
主人公イーサン。 なんか飛び飛びで見てたから正直全部は把握しきってない。


ジャガイモとトマトとしめじの炒め物を食べた。
コンソメで味付け。
黒コショウが合う。
ビールがうまい。

2017年10月24日火曜日

久しぶりじゃん

ブログ書くの超久々じゃん?
なんか無限に書けるような気がしてくるじゃん?

日頃心にうつりゆく由なしことをそこはかとなく書き尽くる場の無くなりて久しい私にとって、コレまであった色んなことを思い返し思い返し書こうと思うと無限に書き続けられるような気がしてきます。
私は今無敵だ。

今年の春引っ越しました。
ソファの置ける一回り大きい部屋に。
家賃1.5倍 広さ2倍。
それまでワンルームでスクリーンで映画観たりゲームしたりとかいう無茶やってたのが、少し余裕できて嬉しい限り。


最近見た映画の中で”Uボート”が素晴らしく面白かった。
若干長いけど緊迫感、臨場感、素晴らしい。
最後の展開も好き。
船長の最後の表情とか凄い色々考えられる。


眠い。寝よう。
明日もよい日でありますように。

ぶんがくとかいう話

秋の夜長に
文机に向かい
筆執り
無為を為しゆく


蟹工船を読んで過酷な状況で働かされる労働者達を見て心を慰める。
立ち上がる労働者達に自分を重ね日々の憤慨を紛らわす。

プロレタリア文学というらしい。

文学という恐ろしき世界に足を踏み入れたことはないが、そういう括りで新しい出会いを求めるのも楽しかろう。
はて、私の好きな夏目漱石は分類上はなんだろうか。

”反自然主義文学”となるらしい。

はて、反自然主義とは一体。
自然主義文学に反する一派なのだろう。

では自然主義文学とは一体。
代表作は田山花袋の「蒲団」らしい。
かつて一度は読んだはずだけれど、私の記憶の遊園地からは退場されていたので再入園頂いた。

はて、自然主義文学とは一体。
結局よく分からなかった。

しかし蒲団は面白かった。
漱石の”虞美人草”とか”こころ”が好きな私には堪らなくぴったり。

島崎藤村の”破戒”も自然主義文学の代表作らしいので次はこの子へ招待状を送ろうかと思う。
が、超大作故遊びきれるか疑わしいものだ。