2013年2月22日金曜日

手鍋で淹れる

もい
私です

今日はお茶が私好みに淹れられた素晴らしい休日でした。
近頃美味しく淹れられる割合が増えてきた気がします。
善き哉。
この調子で銀英伝のユリアンを目指して邁進します。
 
一番お気に入りのカップ&ソーサー。
似合わないけど、すぬーぴー様好きなんです。
これ割れたらガチで泣いてしまうかもしれない。
女々しいなこのクソ野郎!
形あるものは全て壊れる。
むしろ形あるものは全てぶち壊すぐらいの勢いが欲しいです。


そんなわけで今日は残ってた夏摘みダージリンを手鍋で入れました。
手鍋で淹れる手順は昨年3月の日記に書いといたけど、要点だけ改めて書いておこうと思います。
自分でまとめると覚えられるよね。

1、適当に湯を沸かす
    カップ温め用だから適当

2、茶葉を量り適当なお皿に用意しておく
    ティーカップ1杯=ティースプン1 ぐらいで良い

3、沸いたお湯をポットに移してポットを温める
    後でカップに移してカップも温める

4、今度はカップでお水を量って必要量の湯を沸かす
    うちのポットはだいたいカップ3杯分だからカップ3杯分沸かす

5、お湯が沸騰してきたら、火を止めて茶葉を入れる
    硬貨大の泡がボコボコしてきたぐらいが目安

6、蓋をして待つ
    ダージリンなら私の好みは1分15秒ぐらい。エグみがあまり出なくて良い

7、茶漉しを使ってポットに注ぐ
    葉っぱは取っておいても良いんだろうけどあまり二番煎じしたこと無い

紅茶が美味しく抽出される温度は100度に近いほど良いと言われてるのでちゃんと沸騰を待ちましょう。
かといって沸かしっぱなしのお湯だと水の空気が抜けてしまって上手く抽出できないらしいので、沸騰した直後に手早く葉っぱを入れるのがポイントらしい。
抽出中に温度が下がっちゃってもイマイチらしいので、やっぱりお湯を沸かした鍋でそのまま淹れてしまうのが楽な気がします。
なかなか難しいものだ。

私はやはり手鍋で淹れるのが多いです。
何杯分か一度に淹れられるし、ポットに移す時に葉っぱを取れるから味が変わらないのが良いです。


と言う訳で、本日はお茶の甘味も分かる程度には美味しく淹れることが出来て大満足でした。
昨日調子に乗って10kmほど散歩してしまったので、今日は反動で引き込もりました。
大満足。

超久々にお茶記事でした。
方向性が分からないブログになりつつある!
一体どうなる!
つづく!

では
もいもい

2013年2月16日土曜日

運動不足

 早い話が支那人<チャンチャン>は支那人の児を育てている。露助はロスキーの児を育てている。印度人は印度ッ子を育て、エスキモーはエスキモーッ子を教育しているさなかに、日本人ばかりがわれもわれもと西洋人みたいな児を育てたがるのはドウしたことだ。
<中略>
吾児<わがこ>が毛唐らしく見えてくればくるほど高等教育を施したつもりで、高くもない鼻をヒクつかせているのは何というナンセンスだ。家鴨<あひる>の雛<こ>を育てる鶏だってモウちっとは心配するもんだ。
<夢野久作『犬神博士』より>

西洋コンプレックスみたいなものはこれの書かれた昭和6年頃から依然として残っているような気がします。
もはやそれも含めて日本文化と言っても良いものかもしれませんが。


さてそれはそれとして。

昨日随分久しぶりにラウンドワンのスポッチャに行ってきました。
ずっとずっとテニスをしたくてしたくてたまらなかったんです。
結構前ですけど、前にスポッチャへ行った時はあいにくの雨。
時を経てようやくのリベンジとなりました。

この度向かったのはラウンドワン高槻店。
関西に来て初のラウンドワンだわ!
駅からどんぐらいの距離にあるのかよく分からなかったけれど歩いて向かう。
地味に離れてますね。道も良く分からなくて遠回りになったから余計時間掛かってしまった。

いやしかし、久しぶりにスポッチャいくとテンションあがりますね。
体が動かない動かない。
なんかホントに色々できるんですね。
そして3時間で2000円しないぐらい。
これは良い。

大目的のテニスはもちろん、バスケにサッカーや卓球からビリヤードダーツまで色々できますね。
何の道具も準備せずにこれだけ色々できるのは嬉しいですね。
音ゲーとかレースゲームとかも色々置いてあるし。
3時間じゃ短かったかも!
体がもたないけど!



しかし、なんでもかんでも音がうるさくて、耳の痛くなる場所でした。

そして翌日筋肉痛なわたし。
また今度遊びに行きたいものです。

2013年2月13日水曜日

言葉について

私は言葉が好きです。

誰かの感じている世界の一部に少しは近づける気がする。
私の感じている世界の一部を誰かに想起させることが出来るような気がする。

だから私は言葉が好きです。


私は言葉が嫌いです。

私の見ている世界が言葉によってどんどん切り取られていく。
お金を手に入れて嬉しい、というのと、美味しいものを食べれて嬉しい、というのは本来違う感情なのに、「嬉しい」という一つの言葉に括られて、あたかも同じ感情であるかのように錯覚させる。

だから私は言葉が嫌いです。


見たものを見たままに言葉にする、ということは厳密には不可能だと思っています。
見たものを見たままに伝えるには、実際に私になって私の目を通して私の神経を伝って見てもらうしかないのかな、と。
私が見たものと、私の隣に立ったあなたの見たものは違うものだと私は思います。

ただ、言葉では真の意味で感情を共有する事は不可能だからと言って諦めるべきではない。
言葉を繋げることで、似たような経験や感情を想起させて、錯覚的であろうとも、感情をすり寄せることは出来るのでは。
……というより現実に起こっているのはそういう程度のすり寄せなんだろうなあ。

それを、共感できた、同じように感じた、と錯覚してしまうとまた問題になるんだと思う。
「あー分かる分かる」という言葉は何にも分かっちゃいないと思うべき。
「分かる分かる」は「こういう気分になるんだろうなあ」と予想が出来るというだけであって、断じてあなたの感情を私が実際に感じているわけではないのです。
相手の言葉に対して、一線引いて捉えるのと、鵜呑みにして盲信してしまうのでは違う世界になるんだろうなあ。
そういう小さな差異が大きなすれ違いになっていくのでは。

そのすれ違いを回避するためにも、言葉をたくさん繋げるべき。
決して感情を相手とリンクすることはできないけど、すり寄せられる限りすり寄せて、誤差を可能な限り小さくする。
だから説明不足や言葉足らずは自分から相手を近づけていないに等しい。
「どうして分かってくれないの!?」はあなたが原因です。
相手は与えられた情報からあなたの感情を予測する事しかできません。
情報が多い方が予測は正確になるもので、言葉の持つ情報量はかなり大きいものだと思います。
「言葉では言い表せない」は言葉を使い切った者しか言ってはいけない。

結局私たちが日々行ってる会話は連想ゲームでしかないんでしょうね。
この文ですら私の想像通りに伝わってるとは思えないし。

言葉について言葉を使って考えるという事に限界はあるんだろうとは思いますが、思いを馳せずにはいられません。
やはり私は言葉が好きなようです。
学問的に考えるとまた大変なんだろうとは思いますが、そういうのは専門家にお任せしたい。

2013年2月11日月曜日

かいがいりょこう

海外旅行、憧れますね。
この狭い島国に生まれ育って未だにココから出たことのない私。
日々憧ればかり募っております。

そんな私ですから行きたい国の一つや二つ、では収まらず山ほどあるわけです。

しかし今最も行きたい国と言えばもちろん、ニュージーランド!


こちらをご覧いただきたい。
ニュースページなのでいずれリンク切れると思いますが。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130124/asi13012416560002-n1.htm

<引用>
ニュージーランドで本物の戦車を操縦し中古車に乗り上げ、ぺちゃんこにできるアトラクションが人気を集めている。料金は値が張るが、果敢に挑戦する観光客が後を絶たない。
<中略>
操縦だけで450ニュージーランドドル(約3万4000円)、車をつぶすには395同ドルの追加料金が必要だ。
</引用ココマデ>


450NZ$で本物の戦車に乗れる!更に3万円追加したら戦車で車をぶっ潰せる!!
なんてすばらしい!!!
5人ぐらいでやれば一人の負担も少ないよ!


いいですね、ニュージーランド。