2013年3月2日土曜日

知識について

「知っている」と「信じている」の違いはドコにあるのか。

かつて私の師は言っていました。
それはその場の話の対象で変わる、と。

例えば
ある地域では、地震はナマズが身じろぎすることで起こる、ということが当たり前のように信じられていたとします。
その地域で、その人たちを相手にする場合
「ココでは地震はナマズが起こしていると知られているんですね」
と言い、
その地域の人以外を相手にする場合
「ココでは地震はナマズが起こしていると信じられているのです」
となります。

これはまぁまるっきり見当違いな方向を指しているという訳でもなさそうな気がします。
それが本当に正しいのか間違っているのかはともかく。
知識と信仰はその信仰の内側にいるか外側にいるかで変わるのかな。
むかしむかし
この世界は、神様が6日間で作ったと知られていたり、巨人の死体で作られたと知られていました。
一方現代では
地球は丸いと信じられていたり、世の中の物は分子っていう小さい粒が構成してると信じられてたりしますね。

私が当たり前に「知識」としているものも、そう信じているだけというものが多いんだろうなあ。
実際に私たちが真偽を判断出来るものはそう多くないのでは、と私は信じています。
地球が丸いって言うのを自分で見たわけじゃないし。
写真ってのは見たままの物を映すことが出来るんだと信じて、丸い地球の写真を見て地球は丸いんだと信じて。
そうして私たちは自分で得た何か以外のものを信じて、それを「知識」と呼んで蓄えていくのかもしれません。
そうやって考えると、「経験」と「知識」の差っていうのは本当に埋めがたいのだと思えてきます。
知識は豊富だが経験不足っていうのは信仰心に篤い敬虔な信者のことか。
うーん、自分が陥りがちな方向だわ。

そういう経験ですらも信用に足るものでもなく、
そもそも自分の目や耳が自分の外側の世界を正しく認識しているのかどうかすら怪しいものです。
目が悪ければ歪んで見えるし、耳が悪ければくぐもって聞こえるし。
そんな中で何かが絶対に正しいとか絶対に間違っているなんてハッキリ言えるものがどれだけあるのでしょうか。

……さあ、なんだか話が懐疑主義っぽくなってしまいました。
我思う、故に我あり  ってね。
知識について考え出したら避けては通れぬ問題ですが。

まあ、そういう「知識」というものに対する前提があった上で、
私は全知を手に入れたいです。
本当に世界のことを何も知らないからこそ手に入れたいのです。
もしアカシックレコードなんてものがあったら、ころしてでもうばいとるね!ためらわないね!




うーん、うち、宗教とかドはまりしそうなタイプな気がしてきた。
気をつけよ。
今は立派な唯物科学教徒だけど何かの拍子にコロッと行くかもしれないからなあ。


それはそれとして「間違った知識」という言葉にモヤモヤを感じます。
間違ってたら「知識」として成り立たないと思うんですが、言葉としては成立してますよね。
うーん、モヤモヤ。
「生のゆで卵」的なモヤモヤ。


気付けば、またしても結局何を言いたいのか分からない文章がそびえ立っていた。
この文字の壁を乗り越えて明日を生きていこう。
おやすみなさーい

8 件のコメント:

  1. 人間は人間の人間による人間の為の知識の外側を感じることは出来るけど分からないから信じるという行為になるのでは?

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    1. 信仰は知識の外側にあるという考え方、なるほど納得です。
      ヒトという群体を一つと考えると確かに正解に近いように感じられます。

      こういう自分以外の視点からの考え大歓迎です。
      ともすれば自分視点で突っ走る傾向があるのでそれからいかにして離れるかが今後の課題な気がします。

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    2. 信じるという意思決定に余地がある選択をすることで人は変わっていけるのだと思う。
      なぜならば未だわかっていないから

      というわけで今夜お送りいたしますス・テ・キなナンバー
      筋肉少女帯で『戦え何を人生を』

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    3. はい、筋肉少女隊『戦え何を人生を』
      お聞きいただきました。
      ヒトの生きる意味に直球で切りこんでくる素晴らしい曲ですね。

      余白や振れ幅っていうのが可能性を広げる重要な要素かもしれない。
      未定や不明が、いちばん、つよい

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  2. 仏教に色即是空ってのがあるんです。
    色即ち是空なりってんですが、事象はそれ単体だと判別がつかない、たくさんの事象があってはじめてひとつの事象となりえる。みたいな解釈をされることも多い言葉なのです。

    たとえば画用紙にポツンと点があったとして、それを拡大していくと四角になってさらに拡大していくと点から面になってさらに拡大すると得たいの知れない黒になる。みたいなもので
    突き詰めれば突き詰めるほどそれは点なのか面なのか、曖昧になっちゃうんだよねー。世の中って不思議ダネ!

    俺は世界の真理とかそういうものはわからないけど
    真理を求める人は、自由を求めているんじゃないだろうか。
    そんな気がする。

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    1. ゲシュタルト心理学ですね!
      そこに色即是空という言葉で到達してしまう仏教的考えっていうのは本当に凄いと思う。
      冗談抜きで仏教的思想というのを体得したい。悟りを開きたいと考えてしまいます。

      知識と自由は切っても切り離せない関係ですが、そこについて語りだすと本当にきりがないのでココでは割愛致します。
      また機会があれば。
      真の自由とはなんなのか!!

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  3. 真の自由とは、美味しいものを食べられることだと思う!

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    1. 結局真理とはそういうシンプルな場所にある気がします。
      幸せをつかむのは容易い!
      人類よ幸せたれ!!

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